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名古屋地方裁判所 昭和47年(ワ)1649号 判決 1974年4月19日

原告 入山利一

右訴訟代理人弁護士 高木清

被告 国

右訴訟代表者法務大臣 中村梅吉

右指定代理人 松崎康夫

<ほか二名>

主文

一、被告は原告に対し金一万九五〇〇円およびこれに対する昭和二七年四月一日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告のその他の請求を棄却する。

三、訴訟費用中訴状貼用印紙代中九九〇〇円を原告の、その他を被告の、各負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

(原告の請求の趣旨)

一、被告は原告に対し金一五〇万円およびこれに対する昭和二二年四月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

(請求の趣旨に対する被告の答弁)

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言の却下を求め、もし同宣言をする場合は担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求める。

第二、当事者双方の主張

(原告の請求原因)

一、原告は昭和一三年から昭和二〇年まで中華民国(現在中華人民共和国)山東省青島泰山路一〇八号において泰山染織工廠名で織物製造業(従業員約五〇名)を営んでいた。

二、青島における日本国総領事喜多長雄は、第二次世界大戦後外地の混乱した情勢下において、在留邦人の生命保護と本国への引き揚げについて緊急措置を執ることを迫られていたにもかかわらず、本国からの送金が杜絶して困惑していたところ、日本国政府外務大臣吉田茂は、昭和二〇年九月七日右総領事に宛てて、とりあえず現地邦人から資金の借入れをされたい旨の訓電を発した。

三、右総領事は右訓電に基き、昭和二〇年九月一四日同総領事の名において、在留邦人の有志から資金を借入れることおよび右借入金は本国への引揚後国庫金をもって返済する旨の通牒を告示した。

四、原告は右通牒にこたえ、青島総領事館に対し同総領事が本国に引き揚げ後国庫金から返済する約束のもとに、中国連合準備銀行券(円と元は等価)にて、朝鮮銀行青島支店(支店長安藤直明)在留邦人援護委員会委員長口座に振込む方法により次のように金員を貸与した。

1 昭和二〇年一〇月三〇日 金二〇〇万円

2 同     年同  月三一日 金五〇〇万円

3 同     年一一月  一日 金三〇〇万円

4 同     年同  月  八日 金一五〇万円

合計     金一一五〇万円

五、右原告の貸金は当時国の一機関である青島総領事に対し、貸与したのであるから、国は当然にその返済の義務がある。

右総領事は昭和二一、二年頃日本国に引揚げたので、原告は被告に対し昭和二二年三月三一日右貸金の返済を請求した。

六、被告は昭和二七年にようやく原告に金五万円を支払ったので、原告はこれを昭和二〇年一〇月三〇日付の貸金二〇〇万円に充当する。

七、よって原告は被告に対し、貸金残額金一一四五万円のうち昭和二〇年一一月八日の貸金一五〇万円およびこれに対する前記返済請求をした翌日である昭和二二年四月一日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する被告の認否)

一、請求原因第一項は知らない。

同第二項の事実は認める。

二、同第三項の事実は否認する。但し、青島総領事喜多長雄が昭和二〇年九月中旬青島日本人会時局特別処理委員会の委員に対し、原告主張の外務大臣訓電を示し、借入協力方要請し右委員会が青島在留邦人に右要請の趣旨を伝えたことはある。

三、同第四項の事実は認める。但し通牒にこたえたものでないし、中国連合準備銀行券の単位は「元」でなく「円」である。

四、同第五項の事実は認める。但し、青島総領事喜多長雄が日本国に引揚げたのは、昭和二一年四月二九日であり、返済請求された日時は知らない。

五、同第六項の事実中被告が昭和二七年原告に金五万円を支払ったことは認め、その他を争う。但し、この支払は原告が昭和二五年一月一八日在外公館等借入金の確認に関する法律(昭和二四年法律第一七三号)の規定による確認申請をしたことに対し昭和二七年七月二四日支払ったものである。

六、同第七項の主張は争う。

(被告の仮定抗弁)

一、仮に原告の被告に対する債権が存在し、昭和二七年七月二四日の被告の原告に対する金五万円の弁済が右債権の一部の弁済であって、これが民法第一四七条第三号の承認にあたるとしても、おそくとも右弁済の翌日から一〇年を経過した昭和三七年七月二四日の満了をもって消滅時効が完成している。

二、原告は右弁済の日時が昭和二七年中であることを認めているので、おそくとも昭和二七年一二月三一日から起算して満一〇年を経過した昭和三七年一二月三一日の満了をもって消滅時効は完成している。

原告の債権は時効により消滅し、被告において時効を援用し、同援用を維持している以上、原告の主張はその他について判断するまでもなく失当であり、本訴請求はすみやかに棄却されるべきである。

(原告の再抗弁)

一、被告は昭和二七年(月日は不明)原告に対し金五万円を弁済することにより本件貸金債務を承認し、その後も原告の再三再四にわたる外務省或は財務局を通じての請求に対しその都度右債務を承認してきた。

特に、原告は昭和三五年三月一五日には原告自ら、昭和四三年八月には弁護士鍛治巧をして、それぞれ本件貸金の返済を請求したのに対し、被告は外務省の係官を通じて本件貸金債務を承認した。

二、仮に明示の承認がなかったとしても、原告の右各請求に対し暗黙のうちに本件貸金債務を承認していた。

三、仮に被告の債務承認行為がなかったとしても、原告は既に述べたように再三返済の請求をしてきたのであるが、法律知識にうとく、催告から六ヶ月以内に裁判上の請求等をするのでなければ時効中断の効力が生じないとの民法の規定を知らず、原告は一人本件貸金返済のことにつき悩みつつ今日まできてしまった。

原告のように国民が民法の規定を知るよしもなく、そのことに相当な理由があるときは、民法第一五三条の適用がないとしなければ、真に国民の権利を擁護することにならないであろう。

四、被告国は、総領事が引揚げ後六年を経た昭和二七年になって、在外公館等借入金の確認に関する法律(昭和二四年法律第一七三号)および在外公館等借入金の返済の実施に関する法律(昭和二七年法律第四四号)の二箇の特別法を制定し、金五万円を返済した。その際外務省や大蔵省からこの返済金の内容について何ら詳しい説明がなく貸した金は金一千万円以上なのに、まさか金五万円でうちきられるとは夢にも思わなく、ひたすら残金の返済を待ち望んでいた。金五万円を返済したことによって全部返済ずみであるとは、右法律は国民の財産権を保護する憲法第二九条に違反し無効である。総領事の在留邦人引き揚げのための金銭を貸し国に協力した者が馬鹿をみたことになり、原告はまさに昭和二七年当時の政治の犠牲者であるともいうことができよう。

(再抗弁に対する被告の認否)

一、再抗弁第一項の事実中、原告が昭和四三年八月弁護士鍛治巧を通じて被告(所管庁外務省アジア局中国課)宛本件貸金の返済請求があったことは認めるが、これに対し、被告は、昭和四三年八月二一日外務省アジア局中国課長名で本件借入金はすでに支払済である旨の回答を行なっており、明示的にも黙示的にも本件債務を承認したことがない。原告が昭和三五年三月一五日被告に対し本件貸金の返済請求をしたことは当時の記録が保存されていないため、その事実を確認できない。その他の事実は否認する。

被告は在外公館等借入金の確認に関する法律(昭和二四年法律一七三号)および在外公館等借入金の返済の実施に関する法律(昭和二七年法律四四号)の規定により、本件借入金については金五万円の支払をもってすべて終了したとの見解を有していたので、原告の主張するような承認を行うことはありえない。

二、同第二項の事実は否認する。

三、同第三項の主張は争う。

第三、証拠関係≪省略≫

理由

一、青島における日本国総領事喜多長雄は第二次世界大戦後、外地の混乱した情勢下において在留邦人の生命保護と本国への引き揚げについて緊急措置を執る必要に迫られていたにもかかわらず、本国からの送金が杜絶して困惑していたところ、当時の日本国政府外務大臣吉田茂は、昭和二〇年九月七日右総領事に宛てて、とりあえず現地邦人から資金の借入れをされたいとの趣旨の訓電を発したこと、原告は右総領事が本国に引き揚げ後国庫金から返済する約束のもとに中国連合準備銀行券にて朝鮮銀行青島支店(支店長安藤直明)在留邦人援護委員会委員長口座に振込む方法により原告主張のとおり前後四回にわたり合計金一一五〇万円を貸付けたこと、右総領事は日本国に引き揚げたので、原告はその後被告に対し右貸金の返済請求をしたこと被告は昭和二七年に原告に対し金五万円を支払ったことについてはいずれも当事者間に争がない。同総領事の右引揚の日が昭和二一年四月二九日であることは被告の自認するところである。

二、≪証拠省略≫によれば、原告は昭和二六年三月一〇日在外公館等借入金整理準備審査会法(昭和二四年六月一日法律第一七三号、昭和四一年六月三〇日法第九八号による改正により在外公館等借入金の確認に関する法律と改称)第五条第一項による前記貸金の確認を受けたことが認められ、右に反する証拠はなく、原告は昭和二七年在外公館等借入金の返済の実施に関する法律第四条により前記金五万円の返済を受けた後においても、昭和四三年八月に外務省に対し弁護士鍛治巧を通じて残金の返済を請求したことは当事者間に争がなく、被告は本訴において前記借入金の存在することを認め、消滅時効を援用し、同援用のある以上、その他の点を援用するまでもなく原告の主張を失当とし、本訴を棄却すべく力説する。それで、被告の時効の援用が許されるかどうかを判断する。

消滅時効の基礎は、行使できる権利の不行使にあるから、いやしくも権利の行使が法律上妨げられているときは、時効はその進行を開始することができない(民法第一六六条)とともに進行中の分も権利の行使をすることはできないという理由で、法律上妨げられている期間中はその進行を停止する。民法第一六一条は「時効ノ期間満了ノ時ニ当リ天災其他避クヘカラサル事変ノ為メ時効ヲ中断スルコト能ハサルトキハ其妨碍ノ止ミタル時ヨリ一週間内ハ時効完成セス」と規定し、昭和二七年四月二八日条約第五号日本国との平和条約議定書によると「時効期間について日本国と署名国との領域において戦争の継続中その進行を停止されたものとみなす。この平和条約の効力の発生の日から再び進行を始める」旨規定し(昭和二七年八月五日条約第一〇号日本国と中華民国との間の平和条約同趣旨)、日本国と本貸金契約成立場所との間には、いまだ平和条約の締結のないことは当裁判所に顕著な事実であるから、本件貸金債権の消滅時効の進行は本訴提起時であることが本件記録上明白な昭和四七年七月一四日には停止されていたということができる。時効停止の場合時効の援用が許されないのは勿論であるが、更に本件では前記認定事実によれば、本件貸借は異常な過渡期の下に発生した貸借であって、借入金の存在および額については被告においてそれを承認し、当事者間において明確になっており、一方原告においても被告により返済措置が執られることを期待して催告をなすに止めていたものであって、権利の上に眠っていたものではないし、もともと請求権の消滅時効の制度の存在理由は権利者に正当な権利を喪失させることになく、存在の不明な請求権についての義務者とされる者に防禦手段を与えることにあるうえ、また、領事官の職務については明治三三年勅令第一五三号領事館職務規律(その後数次の改正があって昭和二〇年八月二六日勅令第四九一号改正に至り、昭和二八年八月一日勅令第二〇一号により廃止)第五条には「領事官ハ其ノ管轄区域内ニ在ル日本臣民ノ救助又ハ取締ノ為必要ナル措置ヲ為スヘシ」と規定し、本件貸借が右領事官の本来の職務遂行のために必要であったこと、前記在外公館等借入金の確認に関する法律は、法の数次の改正にもかかわらず確認された借入金の消滅時効期間を設けてなく、同法附則において借入金の確認を請求する権利を失っている者の特殊の場合に弾力的救済規定をおいており、領事官職務遂行に協力した者にできるだけ報いようとしている立法趣旨であることに照し、被告である国は本訴において信義則上消滅時効を援用することはできないものといわなければならない。

三、ところで、被告は在外公館等借入金の返済の実施に関する法律に基き、原告の債権は前記返済をした金五万円をもってすべて終了している旨主張しているのであるが、憲法第二九条により財産権の制限をする場合には正当な補償をなすべきところ、金銭債権の制限については特段の事情がない限り制限された債権額全額について補償がなされるべきところ、本件の場合においては制限された債権額以下の補償で足りるものと認むべき特段の事情も見当らない。

よって、在外公館等借入金の返済の実施に関する法律(昭和二七年三月三一日法律第四四号)第四条中、国が借入れた金額のうち返済すべき金額を合計額が金五万円を超える部分について金五万円で打ち切った部分は憲法第二九条に違反し無効であるといわなければならない。

四、なお、在外公館等借入金の返済の実施に関する法律第四条によれば、中国連合準備銀行券の一〇〇円は本邦通貨の一円に相当するものとされ、被告が返済すべき額は右により換算した金額の一〇〇分の一三〇に相当する額とされており、右によることにつき特に不合理なものと認めるべき点も見当らないから、これにより前記借入額を換算すると昭和二〇年一〇月三〇日貸借分については二万六〇〇〇円、同月三一日貸借分については六万五〇〇〇円、同年一一月一日貸借分については三万九〇〇〇円、同月八日貸借分については一万九五〇〇円、合計金一四万九五〇〇円に相当することになり、そのうち前記金五万円の返済を受けているから残額は昭和二〇年一〇月三〇日貸借分については〇円、同月三一日貸借分については四万一〇〇〇円、同年一一月一日貸借分については三万九〇〇〇円、同月八日貸借分については一万九五〇〇円、合計九万九五〇〇円となるところ、原告は本訴において右最後の貸借分のみを請求しているから、被告は原告に対してその最後の分に対し一万九五〇〇円の限度で返済すべき義務がある。

五、以上によれば、被告は原告に対して金一万九五〇〇円を返済し、かつ在外公館等借入金の返済の実施に関する法律の施行の日である昭和二七年三月三一日の翌日から右完済までの遅延損害金を支払うべき義務があることになり、その限度で原告の本訴請求は理由があることになるからこれを認容することとし、その他の請求は理由がないからこれを棄却することとし、仮執行の宣言は相当でないからこれを付しないこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 越川純吉 裁判官 丸尾武良 草深重明)

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